映画「ソーシャル・ネットワーク」をみました

アカデミー賞ノミネートされていますね。「ソーシャル・ネットワーク」封切り後の最初の水曜日(レディースディ)にさっそく観てきました。「facebook」の創始者のサクセスストーリーです。最年少で億万長者になったんですって、凄いね〜。ただある雑誌に本人のコメントが書いてありましたが、「着ていた服以外は全部ウソ」と。ということは億万長者も嘘ってこと???ま、いいか。

ツィッターを稼働する前に、海外に住む友人の薦めで既にフェイスブックは稼働していました。ただ使い方が分かりにくくてというより、「これ、何?どう使うの?どうすれば役に立つの?」いろいろな事がよく理解できず放置してたところ、この映画が封切りになったので、疑問を解消するために観に行ってきました。が、やっぱりその疑問は解消できず。私の年齢脳ではすでに理解不能か?

どうやら実名公開することでつながるネットワーク。なるほど、無責任な言動や嫌がらせを回避できるということね。確かに顔がわかるというのは安心感にはつながる。実名公開することで誰かが自分を探してくれるらしい。友達の友達も見えてくる「あ、この人一度だけ会ったことある、でも、友達ではないし(;一_一)、どうしたものか」はたまた「この人、友達だけど。。。」とか。自分の交友関係を公開することに、なんとなく恥ずかしさと少しだけ窮屈感を感じるのは私だけかな?ビミョー。でもとりあえず稼働はしている。

包丁は物を切る道具と知っていても、何を切るのか?どう切るのか知らなければ役に立たない(最近は包丁のない家もあるそうですね)。ま、なくてもいいといえば、なくてもいい、他の道具を使えばいいのだから。また、使い方を間違うと自分が怪我をしたり、恐ろしくも他人を傷つける道具としても使えてしまう。だから、包丁を使うのはやめましょう、無視しましょう。という考えは私は好まない。なぜなら一番怖いことは、その道具がどう使われるか自分がまったく知らないということだと思うからね。

現在、フルに稼働しているのがツィッター。使ってみてわかるメリットデメリット。今、レギュラーメンバー(希望者のみ)(非公開)とツィッターで交流しています。これは、メールで聞くほどでもないし、でもちょっと聞いてみようかな?とか、パンの質問や、家で良いパンが焼けた時に「すっごーい、焼けた!」って言いたいことあるんですよ。そんな時に「こんなパン焼いちゃいました、なう!(写メ付)」なんてつぶやきが入ります。時にはこちらからも厳しいアドバイスのつぶやきをしてみたり、また、皆さんからはどこどこのパンが美味しいとか、コンサートなう、はたまた女性特有の体のトラブルの悩みや解決方法まで、とにかく皆の情報を結集するとこれが、とっても興味深く楽しいんです。最近は「なんだかKAYO先生ご立腹。ここは静かに黙って過ごそう〜」って無言のつぶやきも聞こえてきますよ(*^_^*)。皆にもこちらの素性がバレバレってところかしら。

ハンドルネームと独自のアイコンを使うことで、カジュアル感があって、つぶやきやすさが増している気がします。ただ、フェイスブックと同じで相手の顔が見えてこそのツールと私は考えているので、ハンドルネームが誰か特定できています。現在、30代〰60代の方がBonBのつぶやきをフォローして下さって、そのつぶやきに刺激されて、いろいろなパンが焼けているようです。そこから新しいクラスも産まれました。返事をしてもしなくても、つぶやかずとも、何をつぶやいても自由という、このゆるいコミュニケーションが今まで伝えられなかったことが、伝えられるメリットを感じています。

ソーシャルネットワーク、いろいろなジャンルで使い方があり、否定されるものではなく、その使い方をさえ考えつけば、なくてはならない道具となって、より多くの刺激の中から新しいものが産まれるとそんな気がしています。どこまで、こういったことを追いついて行けるかわかりませんが、いつまでも未知なるものに興味をもつ若い脳みそは持ち続けたいと思います。

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